なにかの温床

生きることを目的にしたい

「熱海殺人事件 Battle Royal」 をみてきた

ので感想というかメモ。内容がを知らない人には全く不親切な書き方になる感じになるかと。

とりあえず公演のページ

紀伊國屋ホール開場50年記念「熱海殺人事件 Battle Royal」

でもってついでに、去年みたのがこっち

熱海殺人事件 40years' NEW | Back Number 

映画ですら同じものを映画館で2回みることをほとんどしない人間なので冷静に考えるとおなじ内容のもの(キャスト・演出はもちろん違う)(もっと言うと当たり前だけど公演ごとにも差異は出る)を見に行くというのはあまりしない経験だなあとも。

40years'のほうを前回、Battle Royal の方を今回という表現で進めます。

今回は木村伝兵衛がWキャストだったのですが、3/1の夜公演、馬場徹さんの方のみの観劇となります。以上前提のはなしでした。

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熱海殺人事件というものを私はそもそも本当に何も知らず、あらすじさえも知らない

ままに人様に誘われるまま観に行った前回、ああただひたすらに恐ろしい、おかしい、涙は確実にそういう意味合いで出るのに悲しい話とはまた別のもので一体これはなんだったのだろうという心持ちにされた。

恐らくその原因であるのが表題たる殺人事件の犯人、大山金太郎の動機が理解しきれなかったからではないかと思う。理解というよりは、その心情その奥にある大山という人間の行動原理が汲みきれなかったのだ。

アイ子を殺した、経緯心情ここで殺さねばという某かは言葉で伝わってきたはずなのにそれでもなおどうしてそこで手をかけてしまったのか、一歩踏み込んでしまったのか、なぜその瞬間なのか、なぜその瞬間に殺せてしまったのかがわからず、そのわからなさがどろどろと消化もできずにああ恐ろしい作品であるという感想になるのだ。人を殺したこと自体が恐ろしいのではない。大山金太郎という人間自体が、私にはうまく咀嚼飲み下しのできないキャラクターであるからに恐ろしいのである。

 

というのが前回であり、今回は話の概要、登場人物の立ち回りなどおおまかな内容が頭に入った状態での観劇である。

もちろんそのお影もあるのだろうが、今回の大山金太郎は恐ろしくなかったのである。恐ろしいというよりも、哀しく、ただただ人間であったのだ。

アイ子を今この場所で、今すぐに手にかけてしまわなければ己の何もかも、すでにぐずりと崩れかけているような精神が殺されてしまうから腰紐を手に取り、アイ子の首へ、そうしたのではないかと、自分の中で折り合いをつけることができた。

この対比からに、前回のNAOKI演ずる大山は人であって人間ではない部分があったし、今回の柳下演ずる大山はあまりにも人間であったのだなあと私は感じた。

どちらが好きだとかそういった判断はできないが、観た後に解決のできない恐ろしさがない、なにか憑き物を貶すような感覚が得られたのが今回の熱海殺人事件である。

 

舞台というのは、その登場人物を演じているものである。

つまりその登場人物自体は絶対に存在すること無く、それらの役割を与えられた役者によっていかようにも観劇者の心を撫でるように慈しむこともがりがりと引っ掻いて傷めつけることもできるのだなあと、まさに自分で体感してそのすごさを味わったのである。

 

っていう感じのことが言いたかったので以下本当に何も考えてない脳直な感想。

▼木村伝兵衛のはなし

馬場徹の木村伝兵衛が見た目から動作から声から何まで好みすぎてすごくつらい。去年も思ったけれども、今年で革新したけど私はあの木村伝兵衛が好きで好きでしょうがない。わからない、顔も好きだ。目元?のあたり恐らくメイクとかその辺もあるのだろうけどすごい好きだ。

だからこそ「俺より目立つな!俺を立てろ!俺より前に出るんじゃねえ!」を始めて聞いた時は胃の更に奥のあたりが持ち上がるような興奮を覚えたし、二回目に聞いた時はああそうだ私はまた熱海殺人事件を観に来たのだったという懐かしさにも近い震えがあった。

あと蝶ネクタイが外れてぎゃんぎゃん喚いて水野女史につけてもらうところが可愛いらしくてどうしようもなかった

 

▼木村伝兵衛以外のこと

水野女史が非常に美しい。そういえば最近twitterでオールバックが似合う人間は本当に顔の造作が良い、というのを見たがまさにそれをダイレクトに伝えてくるような方である。パンツスーツで舞台の端から端まで時に艶やかに涼やかにダイナミックに動き回るその体のしなり、地への脚の付け方ふるまい何もかもが力強く麗しい。であるのに、彼女には婚約者がいる。彼女もまた人に深い愛情を抱く人間なのであるというのが存分に知らしめられる。素晴らしい。

熊田留吉は前回・今回を通して、おなじ時間軸を演じているはずなのに「一年かけて成長したな…」と思ってしまった。成長というよりは慣れだろうか。あの、木村伝兵衛のいる空間にじつに馴染んでいた。前回は完全によそ者であったはずが、今回は登場時から元からここにいる人間であるかのような安心感を携えていた。恐らくソレは熊田演じる牧田哲也の持ち得た時間、経験した時間が為すもので、熊田の狂気、力強さ、ねじ伏せる力というのが圧倒的に大きく安定したものになっていったように思える。

 

そんなわけですごく面白かったです。

結局面白いとしか、それしか言い様がない。もっと何が面白かったのか、短くわかりやすく強く表現できたならば追記したい。